ナゴヤファッションコンテスト過去受賞者へのインタビューVol. 14
「ナゴヤファッションコンテスト2007」グランプリ・「2006」ゴールド賞受賞 鷺森アグリさん
「ナゴヤファッションコンテスト2007」グランプリ、「2006」ゴールド賞を受賞し、現在はブランド「agris」を展開するなど様々な方面で活躍されており、「ナゴヤファッションコンテスト2020」では審査員にも就任される予定の鷺森アグリさんにお話を伺いました。
■卒業後、ブランド立ち上げまでの経歴は。
バンタンデザイン研究所の研究室1期生として採用されていて、ナゴヤファッションコンテストのグランプリとTokyo新人デザイナーファッション大賞の優秀賞を受賞できたらコレクションデビューの応援をしてほしいとプレゼンした経緯でデビューしました。制作費や会社の運営はもちろん自分の負担で始めましたが、名古屋の会社にスポンサーになっていただき、無名の新人を沢山の方に応援いただきました。
■それで卒業してすぐに自分のブランドを作ることができたのですね。一度就職してから独立する人の方が多いと思いますが。
当時は、自分の意思も固まっていないし、既存のブランドや企業に入ってしまうと感覚まで染められてしまうのではないかという怖さがありました。
卒業後すぐにブランドを立ち上げることは、瑞々しく鮮やかなままのクリエイションができ、怖いもの知らずな進み方は経験を積んだ今の私にもできないことがあるので結果的に私には良かったと思います。
ただ指導してくださる上司やチームがいない環境は失敗も多く苦労しますので、あまりお勧めしません。
私は今も、自分以上に優秀なスキルがある方々とチームを組むようにしています。
ファッションでいうと服を形作っているのはパタンナーだと考えています。理想家であるデザイナーのわがままなイメージを実際に服にしているのはパタンナーです。他にもいろんなプロフェッショナルがいてこそ力強いものができるので、デザイナーだけにスポットが当たる「AGURI SAGIMORI」ではなく「agris」というチームを作りました。「agris」の"a"には単数で私、"s"には複数形であなたという意味を持たせています。
■現在の仕事内容は。
デザインをファッションだけではなく拡張しています。
すべての活動のポリシーとして「求愛」というテーマで愛するクリエイターと共にクリエイションしています。
例えば写真家のヨシダナギさんがアフリカで着る、機能素材を用いた民族衣装の正装ドレスを作るために共にアフリカに行きます。
吉高由里子さんのアカデミー賞授賞式での衣装は役を共に考えながら作ります。画家の小松美羽さんのライブペイントをスキャンして作ったドレスはあくまで彼女から出たもので作り上げたかったから制作のカケラをデザインに取り入れました。
仲里依紗さんの太夫のような衣装と映像や舞台演出も表現でき得るすべてのコンテンツを最後まで関わらせていただいています。
とにかく非効率でも本質的なものって何だろうと日々向き合っています。
そこから広がった広告ビジュアルやイベントの企画や施工デザインまで携わっています。ファッションデザイナーはプロダクトを作るデザイナーですが、最後に皆さんがどんな体験をしてどんな感情を持つのか、ということまで関われることは幸せです。
また体験などの情緒的な価値を作る一方で、テクニカルな価値を作っています。テクノロジーのチームと一緒に素材開発をしています。
直近では国体ユニフォームのリブランドや、企業の新しい未来へ向けてユニフォームを制作しています。
環境の問題はファッションには無関係ではありません。何か消費に関わる際には意思と責任がより伴う時代になったかと思います。
その中で自分では解決できないことは研究者と共にものづくりの源流に携わらせていただいています。
■ファッションを学ぼうと思ったきっかけは何ですか。
母がファッションブランドの仕事をしていました。
偶然ですが私の成長とともに、ベビー服からヤングカジュアルへと、母の扱うブランドが変化していったこともあり、ファッションの仕事が身近でした。
専門学校に進んでファッションを学ぶ学生やコンテストに参加する人たちには夢があって、夢に向かって進むにつれて現実を知り挫折する人がいました。
私の場合は母を通してファッションの仕事の厳しさを感じてから入っていったので、学校で学び始めてからファッションはこんなにも夢がある世界なのか!とどんどん楽しくなっていきました。
母は、私がファッションの道に進むことを当初は反対しました。
私は留学か東京での進学か悩みましたが、海外で働きながら学ぶことは難しいと判断し、受験や学費などの費用をすべて自分で払うという約束で半ば勝手に上京しました。結局は家族に助けてもらうことばかりで感謝しかありません。
■ナゴヤファッションコンテストは2回受賞されましたが、当時はいかがでしたか。
学校でも学外で批判含めて評価をされることが大事だと指導を受けていたので、沢山のコンテストに参加しました。
日々の努力など関係ないところで結果をきちんと他人に評価される場所は刺激的でしたし、プレゼン能力の大切さも勉強させていただきました。
おそらく学校で、成績の良い学生ではなかったのですが、良いクリエイションを外で発表することで私の道はある、と自己肯定できた体験でもあります。
グランプリを受賞した際にも審査員の方から厳しい評価を頂きましたが、その言葉ですべての人に褒められないものを作ろうと思えました。
"誰かにとって嫌いでも誰かにとっては素敵なもの"今も大事にしています。
■これまでで大変だったこと、嬉しかったこと、印象的なことは何ですか。
20代の頃はずっと大変でした。
学生の時にお金を稼がなくてはならなかったことも大変でしたね。お小遣い稼ぎのアルバイトではなく、生活するための仕事、ものを作るためにはお金が掛かること。だけどそこでも制作の時間が限られていて良かったと思っています。できる中で最大のことをやる意識はそこで作られていたと思います。
何も分からないままファッションビジネスを始めて、コレクションをして、展示会をして、海外に挑戦して、お店に納品をして、と目まぐるしい中でもデザインだけに集中して仕事にできることが嬉しかったです。
どんな服を発表しても、記事では「最年少デビュー」と書かれて服のことが書かれなかったことがすごく悔しかったのを覚えています。
どんなに悩んでつまづいて作った服も誰かに見られるときはたった一瞬です。その中で誰かの心に残るものを作れた時は喜びだし、誰かに着られて初めて生き物のように動く洋服を見る経験はかけがえのないものです。
コンテストでは自分の作品がランウェイを歩くところを見られるので、皆さんにもとても良い経験になると思います。
■今後の目標や夢は何ですか。
今は皆の意識がSDGsなど、環境や社会にきちんと向かっています。
私の活動が少しでも何かに還元できればと思っています。
売上やブランドを大きくしていくより、心から求めるものって何だろうと一生懸命考えて、しっかり作っていきたい。
その積み上げが"正しいこと"や"綺麗事"がちゃんと仕事になるように活動したいです。ようやくそれが叶う時代になったと思っています。
■審査する側になるに当たって、いかがですか。
私自身まだ道半ばなので「これが良い」と審査するというより、皆さんのデザインに向かっていく姿勢に共感できる点を見つけていく気持ちで臨めればいいなと思います。
以前お世話になった、すごく厳しいプレスの方に「今は"I love me"でもいいけど、"I love you"になったときに、あなたのクリエイションはさらに咲きますよ」と言われたことが記憶に残っています。
きっと今は"I love me"の過程にいる人たちは、コンテストなどで発散してください。「こうすればコンテストに通過するだろう」と考えたり、周囲に合わせたりして作品を制作するコツはこれからいくらでも獲得できます。学校の課題ではなく自分の意思で作るコンテストは、のびのびと、どこか下手でもやりたいことの意思を感じる作品を楽しみにしております。
■これからコンテストに応募する若手や学生にアドバイスをお願いします。
ファッション以外の人たちとも沢山関わった方が良いなと思っています。グラフィックでも建築でも料理でもテクノロジーでも、異なるジャンルの人たちと関わると、デザインやものづくりに無限の可能性を見つけられると思っています。私自身も他業種の仲間がとても多いです。
また私は自分の五感に興味があります。
今は必要な情報にも簡単にアクセスできてしまいますしとても良い環境ではあるかと思いますが、情報収集しただけのことを体験したと勘違いしてしまうこともあります。
実際に触ってみたもの、舐めてみたもの、その時の香りなど感情に響く五感を敏感にさせておくことは何かを作ることへの豊かな材料であり、手段になり、作ったものが生き生きとしてくるのです。
失敗を恐れず、好きなように制作した作品が見られることを楽しみにしています。
ぜひ作ることへの情熱と同じ熱量を自分の感覚を磨くことに使ってください。
■ファッション以外の人との関わりは、今の鷺森さんの活動に繋がっているのですね。
22歳でデビューし誰にも師事せず、企業に就職しなかったので、26歳の頃に「このままでいいのかな?視野が狭くなっていないかな?」と自分の向かう先を見つめ直したことがあります。
その時に名前を出さずにファッション以外の様々なデザインや企画の仕事をさせていただきました。
ファッションの中での価値ではなく、すべてにおいてのファッションの価値とは何か、を学べたと思います。
これまでのデザイナーキャラクターやパッションだけで乗り切るのではなく、ファッションに他のクリエイションの考え方をインストールすることで私のクリエイションの新たな視点を獲得することができました。
"求愛"というポリシーの中で愛する人たちと作るものは一人では完結できず、深いコミュニケーションが必要になります。
そこで生まれた感情や新しい視点でまた新たなクリエイションに挑むスタイルは、非効率でもあるしファッションサイクルの中では異端かもしれません。
だけど目に見えて手に届く人たちのために作るものは、大量生産で消費されていくことなく、力強く届いていくと信じています。